3年ぶりに会った友人とのごはんで
友人がちょっとしたお姑さんへの不満を口にしました
いつも笑いながらさくっと明るく話してくれるのでこちらも気が楽です
ふんふん。と聞いていたのだけど
久しぶりに会った高揚感からか
元気づけるようなこと言おうかとしました
でも思い出したのは、彼女が私にこんな話をする時
いつもさっくり笑いとばす私に対して
「すーさんに話すと気が楽になる」
と言ってくれていたこと。
私がめずらしく真剣に話を聞いた時なんかは
「やだ〜、すーさんに笑ってほしかったの!」
と言われたこと。
20代の時のあっけらかんな対応だった私に
重くなってしまった「気」をおろすある種の「軽さ」を求めていたのかなって思います
友人は旦那さんの破天荒な行動にぷんすかしていました
その話にただただ笑う時もあれば
「そんな旦那さんをなんとか操縦してるあなたがさすがだよ!」とか言ってみたり。
友人は破天荒な行動の旦那さんにたまにヤキモキしてましたが
その旦那さんの行動を上回るわが夫の破天荒ぶりをユニークに話すと安心した様子を見せてました 笑
私の周囲には何かちょっとした愚痴ならば
笑いや明るみに変えて欲しい人が圧倒的に多いです
10代の頃の私は
1つ悩みが出てくると、途端に悩みに酔いしれるようなところがあって
一緒になって付き合ってくれる人が優しいんだと思っているところがあり
(かわいそうな私にかまってよって感じで)
一緒になってその事柄をわかちあえる人、なぐさめてくれる人を探していたようにも思います
しかし、ある時からなぜか出会う人出会う人
私の悩みを明るさや笑いに変えようとする人たちにかこまれてしまいました
最初はこれがとても居心地が悪くて
こっちは悩んでるのに。
まじめに聞いてくれてない!
笑いごとじゃないんですけど。。
人の気持ちがわからない人だな。。
とまぁなんだか(^^;;
何かと悩みやすかった当時はそう思っていたけど、
その裏にある違う角度の思いやりを後に知りました
どんなにこちらがガーン。となっていても
その人たちは私を違う角度から
あっけらかんの風に巻き込んでいくんですね
ある意味で適当〜な雰囲気で(高田純次さん風味)
話したところで問題はもちろん解決しないんですけど 笑
かといって一緒に腹を立てたり落ち込んだりしてもなんにも解決しないんですよね
それはひどい。と賛同されるたび、むしろますます自分がかわいそうに見えてきたり
深刻にどよんとなっていたことが
なんかもうどうでもよくなってくるんです
大したことじゃないわ
そして自然とその人たちにつられるかのように自分も変わっていきました
がーん。に浸って味わいたい時もたまにあるけど、何事も深刻になりすぎないって私にはほんとに大切でした
ジェラートピケのカレーはお肉なし
野菜がたっぷりとれてお肉なしでもおいしいカレーでした
gelato pique cafe bio concept 玉川高島屋S・C店 (ジェラートピケカフェビオコンセプト) - 二子玉川/カフェ [食べログ]