何とかしてあげたい病

 

私は過去「なんとかせねば病」に加えて

「なんとかしてあげたい病」も持っていました

 

 

身近な人や大切な人が困っている。すぐなんとかしてあげたい。

と一生懸命になっていた時期がありました

 

 

自分の体もまだ回復途中なのに

目の前に身近な人の困った相談がやってくると

まずは困っている家族をなんとかしてあげたくいろいろ考えました

 

 

私は実家から1人離れて暮らしていますが、近くに住む妹と母。

かわるがわる私に2人からの相談電話がかかってきていた時がありました

 

 

2人の間に入り、別々の意見を聞いて

私なりに仲を取りもったりフォローしてみたり

 

でも私が何とかしてあげたくてもどうにもならないこともありました

 

 

ある人が私に言いました

 

「自分の持っているツボの中の水を与えすぎて自分の飲む水がなくなってしまわないようにね」

 

確かに「何とかしてあげたい病」は自分が乾いていくのを感じました

 

そこには心配や不安のエネルギーも混ざっているからです

 

何とかしてあげたい側がこんなんでどうするの? 

 

自分の中になみなみとしたたくさんの水があり、余裕があればいいけど

その時の私には半分くらいの水しか持っていないくせに

とかく自分の水を与えよう与えようとしていたのです

 

 

まずは自分のツボの水をいっぱいにしよう。

そもそも何とかしてあげたい。だなんて

その人には解決できる力がないと思っているみたい

 

 

自分にできることをやったのなら

後はしっかり線引きをして心配より

もっと2人を信じよう

 

 

自分が乗り越えるのに苦労したからって

他の人も乗り越えるのにきっと苦労する。

そう思うのはとても失礼だと思ったんです

 

 

困ったことを乗り越えている時って

自分もたくさん学ぶことがあったよね?

 

めちゃくちゃ困る事によって

あーじゃないこーじゃないと解決策をひねり出して、狭い視野を少しは広げることもできたよね

 

それを活かして幸せを感じる力が増したよね?

 

 

余計な心配をやめてまずは、自分の水をいっぱいにすることに専念しました

 

自分の心を満たすことを積極的に取り入れました

 

 

母と妹の仲がうまくいかない時が続いた時

2人の話を冷静に聞いていると

 

●ちょっとした言葉の足りなさによる行き違い

●このくらいは家族だからしてくれてもいいじゃない。の思い

●言葉の受け取りかたの違い

●普通は孫の面倒を見るのは楽しいはず。。

(普通は〇〇という世間一般を軸にした考え)

 が見え隠れしました

 

 

お互いには口に出して言い合っていないようだけど私には母と妹が、

不満を述べながらも結局最後には

お互いを思いやるがゆえのすれ違いがあるのが伝わってきました

 

 

母と妹がうまくいくところをイメージして心配する時間にも、自分をパワーアップさせよう!

 

一緒になって暗くなるより

私がパワフルな存在でいた方が絶対に良いはず

 

私が明るくいなくてはどうするんだ

とばかりに自分を喜ばす事に専念していました

 

 

 

不足してかけていた自分の水はちょっとずつちょっとずつ。

たまっていきました

 

このぐらいの余裕がなくては。

人に水なんて与えている場合ではなかった。そう思いました

 

心配オバケになってむやみやたらに水をばらまいていました

 

 

自分を満たすことは何なのか?

自分が何に消耗しているかを見つける

 

が私の枯渇していたツボの水を増やしていったように思います

 

 

それに集中している間に

2人の問題はすっかり解決していたのです(o_o)

 

人ってそんなに弱くはない

 

私が前職を辞める時

「すーさんがいなくなるなんて絶対無理!」

と言ってくれる年下の女の子がいました

 

職場での立ち位置と人間関係に悩んでずいぶんと痩せて疲弊していました

 

後ろ髪をひかれる思いで引っ越しました

 

 

その後元気に過ごしてることを知りました 笑

弱そうに見える人ほど強かったりすることよくあります

そして自分がいなくちゃ。

なんてことはないんですよね

 

バルコニーに虫よけになったらいいなと思ってラベンダーとユーカリを植えました

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良い香りで本当に虫よけになるのか疑問ですが期待してます
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